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家計破綻した40代のブログ

家計破綻までの経緯

義母が介護施設に入所するまでの経緯のまとめ

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我が家の主人の母、姑は認知症で現在、特別養護老人ホームに入所しています。

しかし、簡単に入所出来たわけではなく、たまたま運が重なって入所できたと思っています。

その認知症を患い、デイサービスを利用し家で介護してから入所までの経緯をまとめます。

 

デイサービス利用からショートステイ

姑(義母)ですが、はじめはデイサービスのみしか通えない要介護2という状態からスタートしました。

しかし、完全に認知症と認定されて、介護度2になるまではそう長くはなく、あっという間に症状が悪化していきました。

要介護2から介護2まであがった期間はわずか1年。その経緯をまとめます。

 

完全に認知症と言われた日

デイサービスの利用が1週間に1回、空いている日があれば2回行けるというかたちでスタートしたわけですが、春頃になり、義母がやっていた畑仕事をするシーズンになりました。

義母は、畑に種を蒔き、苗を植えたりすることを前年までやっていたんですが…

その年の春、作物を植える事自体ができなくなりました。

それが上の子が小学校1年のときでした。

春先に家庭菜園で、周りの家は、夏野菜を植えるのですが、苗を準備してあげても植え付けが出来ず、枯らしてしまうということがありました。

更に、家の中の家電製品を使えなくなるということが起こり、真夜中にご飯を炊くということも何度もありました。

そして最終的には、炊飯器の蓋が開けられず、朝起きたら炊飯器が壊れていたんです。

また、全自動洗濯機すら使えなくなり、固定電話の子機をリモコンと思い込み使っているというようなこともありました。

もうこうなると、認知症を診断してくれる病院へ転院しないとダメってことで、友人の勧めで認知症専門の病院へ連れていき検査をすると、脳の萎縮がはじまっており、これが徐々に広がっていくと認知症の症状がもっと増えてくると言われました。

その時点で介護度2程度が妥当だと思うので、もう一回介護認定を受けたほうがいいと言われすぐに手続きをして、無事に介護度2となりました。

※この介護認定ですが、今から10年以上前の診断となっていますので、現在の基準とは少し異なります。

 

週4日デイサービス利用

今、思い返してみると、週4日デイサービスを利用していました。

デイサービス利用をしてはいましたが、デイサービスはお迎えが8時頃、帰りは16時〜17時の間というかたちで、夜は家で過ごします。

ただ、真夜中に飛び出したり、夜0時になるとなぜかお腹が空くようで、炊飯器のスイッチを入れてご飯を炊いたりということもありました。

それだけではなく、排泄の失敗が徐々に増えていきました。そのため、早めに紙おむつをはかせ対処してきたんですが…

紙おむつで失敗するとタンスの中に隠すということもあり、本当に色々なことがありました。

 

私の体が持たない…

義母は、何よりも、夜、起きては炊飯器を開けてご飯を探すということが気になりはじめ、私は夜2時くらいまで寝られない日々がずっと続きました。

また、仕事をしているので、じっくりと義母と向き合うってことが困難になり始めました。

そこで利用し始めたのがショートステイ。

ところが、介護度2でショートステイを月1回利用すると、デイサービスの利用回数が減るということなのです。

それだと、本当に私の体が持たない…と思ったので、ショートステイを2週間に1回土日のみと決めて年金の範囲内で支払えるように、ケアマネにお願いして調整をしていただきました。

 

3人目の妊娠と施設入所決定

ちょうど、3人目の妊娠がわかったのが義母が認知症で介護度3になった年でした。

義母が認知症になったのが上の子が小学校1年だったわけで、それから5年経過してました。

もうかなり認知症は進み、色々なトラブルがありました。

  • 真夜中の徘徊
  • 幻想が見えて大声を出す
  • 排泄の失敗
  • など

本当に真夜中の徘徊は辛く、真冬で気温が低い時に限って外に飛び出していく始末。

でも、施設入所の申し込みをしていてもなかなか許可されず、苦戦してました。

主人とは、2人おむつで面倒見ることにするよ〜と話をしており、もう無理かな…って思っていた時、施設が空いているので入所希望されますか?という連絡が入りました。

それが、出産予定日の4ヶ月前のこと。

施設入所の申し込みを最初にしたのが今から5年ほど前。基本的に家庭の事情と介護度4以上じゃないと施設入所は厳しいと言われていたわけですが…

やっと入所ができるとのことで、家族で話し合いをしました。

主人が姉に電話をして、施設入所が決まったことを話すと、すぐに入れたほうがいいと言われたそうです。

これで出産して介護をすることがなくなると思ってホッとしましたが…

施設に入れる罪悪感というものも一緒に沸き起こりました。

 

義母の認知症は進んだと思った日

施設入所ですが、実際は2月の上旬に空きが出たということで、最短で3月1日から入所できると言われました。

しかし、3月1日となると色々な準備、もう1ヶ月だけ家においてあげたいと思うようになり、4月1日入所にして欲しいと伝えました。

そして、3月はショートステイをすべてお休みしてデイサービスのみの利用で、義母を出来る限り家で過ごさせてあげることにしました。

子どもたち2人にもおばあちゃんが家から施設に入ることになったと伝え、もう一緒に生活を共にすることができなくなると言うことも教えていました。

もう入所する2ヶ月前当たりから、認知症がどんどん進み、日に日に幻想が見えるようになっており、度々、人影はないのに人がいると叫んだりしていました。

そして、足が思うように動かなくなり、家の中ではハイハイして移動することも増えてきました。

おそらく、そういう状態を施設のケアマネが見てて入所が決まったと思われます。

入所する前日には、ほぼ一人で歩行することも困難になっている状態でした。

 

いざ特別養護老人ホームへ入所

これから入所するというその日、忘れもしません。

最後、この家から義母が車に乗る前に言った言葉。

「家に帰りたい…」

って。

もうこの頃は、現在の家は自分の家ではないと思いこんでおり、実家に戻りたいの言葉が度々でてきてました。

つまり、認知症になって、嫁ぎ先である今の家ではなく、自分の生まれた家に帰りたいと訴えることが多くなってきてたんですね。

姉は涙してまして…それくらい症状が一気に進んだ時期に、たまたま入所になったというわけです。

姉と私達家族で施設に送っていき、色々な説明を受けて来ました。

施設は4人部屋で、ベッドの脇にはベッドから落ちても問題ないように青いマットレスが敷いてありました。

母が入所して約2ヶ月後、私は無事に出産し、現在、その子どもは小学生になりました。

3人目の子どもは、おばあちゃんであるという馴染みが一切ないため、あまり施設にいくと喜びませんが…

これは仕方がないことだと思っています。

ただ、義母の面会にいくと思うのですが、一番上の子の名前がでると頭の中で記憶が戻るのか、表情がとても変わるのです。

つまり、家で一緒に過ごした一番上の子どもの名前には反応するって不思議な現象だなって思いました。

 

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